近藤雄生さん著「吃音―伝えられないもどかしさ―」

I-I-I-I-I-I-I think…

M-m-m-m-m-my son ….

あごがハズレてしまうのかどこか苦しいのかと思うような出だしで話だしたその女性との出会いは、2年前イギリス。9月から子どもの小学校が始まる保護者向けのオリエンテーション勉強会に参加したときでした。

そのときわたしは目の前で起きていることが「吃音」だとわかり、ある友人のことを思い出しました。

その人とは、フリーライターの近藤雄生さん

彼がその著書「旅に出よう――世界にはいろんな生き方があふれてる (岩波ジュニア新書)」や「遊牧夫婦 はじまりの日々 (角川文庫)」のなかで、度々「吃音」について触れていて、わたしは近藤さんの著書を通して10数年前に初めて「吃音」という言葉を知ったのです。

そして近藤さんの近著「吃音―伝えられないもどかしさ―」を最近のわたしは夢中で読み、そして何度も読み返しています。

本の中で何度も登場する高橋啓太さんの、吃音を改善するために全力で取り組む姿、話し方をコントロールする訓練をされている様子や、娘さんとの生活、乗り越えるのは吃音だけではなく正社員になって安定した生活を送ること、疎遠になっている家族との関係の修復……。高橋さんが直面されている様々なできごとに涙したり苦しみに心がつぶれそうになったり喜びながら、読み進めていました。

高橋啓太さんのお母さんが亡くなる前の「ごめんね」という言葉は、わたしにも重いものを残し、ひっかかって、何度もその場面を読み直しては、高橋さんのお母さんの立場や気持ちにも思いを寄せました。

第7章に出てくる、子どもが吃音をもつお母さんの話にも胸をつかれました。子どもさん以上に悩み苦しみ模索し続けてきたあのお母さんの心中を察し、自分だったら……と思い、解決法がない症状に向き合う状況に目の前が暗くなったり。

そして、近藤さんの「吃音 伝えられないもどかしさ 」を読みながら、わたしは幾度となく2か月前に他界した義母のことを思い出していました。

数年前のある日、ふとしたことから義母が、
子どものときstammerがひどくて speech therapist に通ってたのよね、と口にしたんです。

わたしは近藤さんの著書で「吃音」のことは知っていたけれど、身近で吃音の症状がある人には会ったことがなかったので(気がつかなかっただけなのかもしれない)こんなに身近にいて、治癒してから何十年も経った後でも彼女の中に吃音が残した足跡の大きさを垣間見てとても複雑な気持ちになりました。

義母は、自分が吃音になったのは幼いころ彼女の両親が左効きだった義母を無理に右利きに矯正しようとされたことが原因と思っているようでした。だから吃音が治癒していたそのときでさえ、そして両親が他界したその後でも、幼い自分を苦しめた吃音を引き起した両親やその状況に恨みがあるようでした。

近藤さんの著書のなかで、左利きを強制すると吃音がでるという「左利き矯正説」は現在は否定されているとのことですが、当時のわたしはその事実をしらず、親が良かれと思ってしたことがその後子どもに残すトラウマへの怖さや、吃音そのものの問題とは別に、吃音に発足する他の問題(義母の場合でいうと不安定さを伴うコミュニケーションや家族との疎遠関係)を生んでしまいがちな問題の奥の深さを痛感したものでした。

普通に話ができること、普通に言葉を発することができること。
それが自分の生活からなくなったら……?

それが吃音を抱えている人の毎日だと思うと、やりきれない気持ちにもなります。でも、身近にあるのに気がつかないことだからこそ、近藤さんが何度も繰り返してたように、吃音を知ることだけでも意味がある、そう信じたい思いも強いです。

世界中の多くの人に読んでもらいたい一冊でした。

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